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	<title>artscape blog</title>
	<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3</link>
	<description>3人×3カ月のアート・ブログ</description>
	<lastBuildDate>Fri, 13 Apr 2012 04:23:51 +0000</lastBuildDate>
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		<title>メキシコでのリサーチ滞在、これから。</title>
		

		<description><![CDATA[これまでの記事を読み返すと、風土や慣習の違いについての説明不足や、他の視点もありますが、来墨してから約8ヶ月目までの記録とレポートをかねて書かせてもらいました。
私のリサーチ滞在は残り4ヶ月ですが、今後はアーティスト主体で行っているワーク・コレクティブのいくつかをリサーチしていくつもりです。
また、これは2010年に私が企画制作した「アーキペラゴ−海と島と山を渡る」の延長線上にある関心ですが、地域文化研究の方法の実験として、フィールドワークを続けています。
メキシコという広大で、たくさんの民族や文化や歴史が織り合う国を知ろうとするとき、どのようにその端のほころびを見つけて、メキシコへの視野を拡げることができるかを考えながら旅をして、海や川や山に住む人たちの暮らしや遊び、家々に使われているさまざまな建築材、農作物などを観察してみています。
日本では現代美術に関するラテンアメリカの情報は比較的限られていると思いますので、今後はそういった状況へ貢献できたらと考えています。
執筆の機会を与えてくださったアートスケープの齋藤さん、読んでくださった方々、ありがとうございました。
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4651/</link>
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		<title>ロベルト・デ・ラ・トーレ個展「小麦粉とエパソーテ」</title>
		

		<description><![CDATA[ロベルト・デ・ラ・トーレ（Roberto de la Torre, 1967-）は、さまざまな都市および公共スペースでのプロジェクトが多く、しかもコンテクストの異なる場所での巡回展示や記録展示をすることをよしとしないため、作品に立ち会うのがとても難しいアーティストですが、2010年のエクス・テレサ現代美術館（Ex Teresa Arte  Actual、メキシコシティ）での個展「小麦粉とエパソーテ（Harina y Epazote）」のことを知り、社会やコミュニティとアートの関係について彼のアイデアを聞きたいと思い、インタビューを行いました。
ロベルト・デ・ラ・トーレ（Roberto de la Torre）
1967年メキシコ・プエブラ州生まれ。アートパフォーマンス、インスタレーション、ビデオ作品を展開してきたアーティスト。創作プロセスにおいて都市や建築の歴史、それらが位置するコンテクストへのリサーチを重視し、観客やコラボレーターの行為が成り立たせるようなプロジェクト性の強い作品も発表している。1990年に友人たちとアート集団、19 concreto（ディエシヌエベ・コンクレート）を結成、1996年まで先駆的なアートパフォーマンスやインスタレーション作品を発表し、国内のパフォーマンスフェスティバル等で各賞受賞。その後、個人として国内外のアートフェスティバル等に招待され、ドイツ、カナダ、中国、スペイン、アメリカ、フィンランド、日本、イギリス、メキシコ、ポーランド、ポルトガルで滞在制作と発表を行う。
はじめに──ロベルト・デ・ラ・トーレ個展「小麦粉とエパソーテ（Harina y Epazote）」についての解説
展覧会場だったエクス・テレサ現代美術館は、17世紀に建てられたサンタテレサ寺院を、構造を残したまま美術館としての機能を持たせて1993年に開館しました。当初からパフォーマンスフェスティバルや実験音楽のコンサート、メディアインスタレーションなどを開催するとともに、映像記録やそのアーカイブに早くから取り組んできた施設です。
「エパソーテ」（日本ではアリタ草と呼ばれる）はさまざまな薬効を持つハーブとして、またメキシコの伝統料理には欠かせないスパイスとして古くからメキシコの人々に親しまれている植物です。
この展覧会でロベルトは、美術館全体に小麦粉とエパソーテの製造工場の機能をインストールし、展覧会中には学生や一般のボランティアが労働員として実際に稼働させました。メンテナンス、ケア、取扱い、製造、原料の保存から分配まで、実際の工程を模倣しながら工場を洗練していき、約80日の展覧会期間中、かなりの小麦粉とエパソーテが製造・加工され、遂にはNGOや一般の人々に寄付されました。
小麦粉とエパソーテは明らかにコカインとマリファナのメタファーとなっています。しかしこの展覧会は、ますます深刻化しているメキシコの麻薬戦争について、汚職や暴力犯罪との関連性においてだけ語る一般的なメディアとは異なるパースペクティブで、国の経済発展に間接的に貢献している組織的な産業としての麻薬産業のリアリティを提示しようとしています。そして同時に、昔から麻薬密売のあるファクターを担っていたと言われる元寺院であるこのエクス・テレサ現代美術館の歴史、国立宮殿から対角線上に向かい合う区画にあり、警察や軍隊の制服販売店の前に位置するという環境を強調しようとするものでした。
一方で、美術館の見せる、保存するという機能についてもおもしろい働きかけをしていると思います。美術館へ足を運び、見るという観賞者の行為を能動的な目撃者というニュアンスに変えてしまうこと、そして展覧会中に出来上がった作品＝製品が出荷され、食べるという形で作品が消費されることによって、美術館を社会の流通システムの一つに組み込んでしまうこと。彼の遊び心のあるインターベンションによって、少しずつ美術館の機能がずれたり、風穴が空いていく感じがあります。
ロベルト・デ・ラ・トーレへのインタビュー
［インタビュアー＝内山幸子、通訳＝タロウ・ソリージャ、2012年2月29日］
──現在までの活動について教えてください。
ラ・エスメラルダ大学でビジュアルアーツを専攻していたとき、当時の大学はあまり良くなくて、それで在学中にクラスメイトたちと19 concretoというグループを作って、集団でいくつかの異なるプロジェクト、パフォーマンス、インスタレーション作品を発表しながら7年間活動した。
大学卒業をきっかけに1997年からそれぞれのメンバーが個人で活動を始めたんだけど、僕は外国でのプロジェクトやフェスティバルでの仕事に恵まれたので、旅行しながらパフォーマンスを中心に発表していった。このとき公共スペースで制作と発表をすることが多くて、今の仕事につながる重要なきっかけになったんだ。まずその都市や建築、その場所の歴史についてリサーチするようになった。それから、それまではアーティストが主役のパフォーマンスだったけど、必ずしも自分は必要なくて、その場にいる人たちとインタラクティブにパフォーマンスを作っていくとができるということに気づいた。公共スペースには違うチャンネルがあるということに気づいたんだ。それは僕にとってとても豊かな経験になった。

ディエシヌエベ・コンクレート《秩序と進歩》
19concreto, ORDEN Y PROGRESO（メキシコ国立自治大学附属チョポ美術館、1995）
1999年にカナダのバンフレジデンスセンターで制作した《ピアノ、古いピアノのための9つのムーブメント》では、現地で見つけた古いピアノを地域の人たちと再び使うために、僕はピアノをどうやって動かしてどこで弾くかということをオーガナイズして、あるピアニストに即興演奏してもらった。ピアニストは僕のコンセプトを非常によく理解してくれて、例えばエレベーターの中にピアノを持ち込んで弾いてもらったときは、屋上では高いトーン、地下では低いトーンを弾くといったように、ピアニストともおもしろいコラボレーションの関係ができた。これまでとは違う関係で、パフォーマンスすることが可能だということを、実証することができたんだ。それからさらに、いろんな人たちが集まる場所にピアノを移動して、同じ境遇に立ち会ってもらった。
僕の作品は、作品によってプロセスを強調することはできるけど、プロセスがないと成り立たない。そして僕は人々に近づけるこのやり方がとても好きな んだ。アートは、世界を変えることはできないけど、人々に優しくすることはできる。アートは、社会が個人に優しくなることを提案できると思うんだ。「アートで世界を変える」と言っても、それは70年代の世界で行われていたことだし、僕らのアートは常にアートの歴史の焼き直しだから、だから僕は既にあるものの一部をちょっと変えて見せること、そして返ってきたことからまた作品を作ること、その繰り返しが重要だと思っている。
──アートまたはアーティストは、社会でどのように機能することができると思いますか？
イデオロギーが、あることについて範囲を狭めてわかりやすくするのに対して、アートはあることについて視野を拡げたり視点を増やすようにして現実の世界を拡げて見せる技術だと思う。そしてアーティストは作品のなかで社会を批評することもあるけど、同時に作品が批評している社会そのものと密接に関わっている アート／アーティストそのものについても自己批評することが可能なんだ。自己批評を含めた批評というのは、誰にでもできることではない。それはアーティス トだけに与えられたパスポートだと思う。
&#8212;
過去の作品とプロジェクトの紹介

ロベルト・デ・ラ・トーレ《ピアノ、古いピアノのための9つのムーブメント》
Roberto de la Torre, Piano, Nine movements for the old piano（バンフレジデンスセンター、カナダ、1999）

ロベルト・デ・ラ・トーレ《モルディーダ、モルディーダ！（かじれ！かじれ！）》
Roberto de la Torre, ¡Mordida, mordida!（ソカロ、メキシコシティ、1999年12月31日〜2000年1月1日）
［解説］メキシコシティのソカロ（中心広場）でミレニアムが始まるとき、自転車用のヘルメットと赤いグローブをつけて、1時間以上数段重ねのケーキに頭をぶつけて、形がなくなるまでグチャグチャにしたパフォーマンス。このアクションの間、周囲の人たちは「モルディーダ！モルディーダ！(※)」と叫び、それらの様子は広場の真ん中にあるスクリーンと世界の異なる都市のテレビでリアルタイ ムに映し出された。
※メキシコの誕生日ではろうそくの火を消した後、モルディーダ！と周囲の人が叫び、誕生日の人は後頭部を押されて、顔をケーキに押し付けられるというのがお決まりになっている。

ロベルト・デ・ラ・トーレ《FOR SALE_アーキテクチュアル・インターベンション in 京都》
Roberto de la Torre, FOR SALE_Architectural Interventions in Kyoto（ギャラリーISSIS・メキシコアートフェスティバル、京都、2002）
［解説］三角形の色とりどりのペナントをメキシコから日本へ輸送することから成るプロジェクト。それらはアパートから寺など、京都のさまざまなタイプ の建物に設置された。これらぺナントはメキシコおよび様々な国で住宅やアパート、車が販売中や賃貸中であることを示すために使われている。

ロベルト・デ・ラ・トーレ《アップルズ、ブレイキング・サイレンス》
Roberto de la Torre, [...]]]></description>
		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4592/</link>
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	<item>
		<title>アーティスト・イン・レジデンス　R.A.T.</title>
		

		<description><![CDATA[メキシコシティのアーティスト・イン・レジデンス
今回は、メキシコシティにある自主運営のアーティスト・イン・レジデンスを紹介します。
メキシコでアートやカルチャーに関するおもしろそうな情報を集めるときには、いつもクチコミ・ネットワークに頼っていますが、市内のアーティスト・イン・レジデンスを尋ねると必ず名前が出るのがR.A.T.（Residencias Artisticas por Intercambio＝交換・交流のためのアーティスティックなレジデンスの意）とカサ・ベシーナ（CASA VECINA＝隣の家の意）です。
R.A.T.は、Trans Artistやresartisなどアーティスト・イン・レジデンスの国際ネットワーク機関に登録されていないので、日本にいるときは全く存在を知りませんでしたが、カサ・ベシーナはTrans Artistsに登録・情報公開されています。
R.A.T.は2003年頃から市内の中心部で活動してきましたが、近ごろ市内に2つ目のレジデンスとなる「プエルト・ミトラ（Puerto Mitla）」をオープンしました。2月4日には第一弾レジデンスアーティストのアナ・アータカー（ANA ARTAKER/オーストリア）による写真展とオープニングイベントがあったので、私も見に行きました。レジデンスは運営者の一人である人類学者の自宅のはなれにある書庫を使っています。堅苦しさはないし、プログラムも約10年の経験の蓄積によりオーガナイズされたところとオルタナティブなところがあって、とてもよい雰囲気だったので、その場で急遽インタビューさせてもらうことにしました。
インタビューに応じてくれたセルヒオ・ゴンサレス（Sergio Gonzallez）は建築家で、そもそもは彼の建築プロジェクトで空間に絵を描いてもらうために、海外からアーティストの友達を招いて一緒にやりたいというのが動機の一つでした。「お金がないからやらない、できない、と言うのが嫌だった。だから『宿と食糧の心配はしなくていいからとにかくおいでよ』と言って招待したんだ」。そのようなことを続けているうちに、アーティストがお礼と言って自分の作品をくれるようになった。すると「作品をあげたらレジデンスできるらしい」という噂が広まっていった。さらにクチコミで拡大と継続してきた結果、アーティストがたくさん訪れるようになった。ついにはアーティスト・イン・レジデンス”R.A.T.”と名付けられることになった、、、というのがR.A.T.誕生の経緯だそうです。当初から個人的な繋がりを重視していることもあって、レジデンスアーティストの募集告知は今もR.A.T.のfacebookページの&#8221;友達&#8221;約4700人とウェブサイトがネットワーク源になっています。最初に受け入れたのがアーティストだったため、主にアーティストのレジデンスになっていますが、最近はアート以外の分野へと受け入れの範囲を拡げています。
今回オープニングイベントとして設置された3つのプレゼンテーションテーブルは、とてもおもしろい試みでした。これはレジデンスアーティストを含むメキシコシティのアーティストたちが1対1で自身の作品についてプレゼンしあうというもので、同じ街で活動するアーティスト同士が視点や情報を交換したり、互いの作品についてアーティスト同士が質問しあっていました。観客も同時進行する3つのテーブルの中からおもしろそうなテーブルに移動しては口をはさんだりして、各テーブルのプレゼンがとてもアクティブに発展していました。どのテーブルもかなり盛り上がって、たしか「あと5分」と言ってから1時間以上延長してたような・・・。R.A.T.のメンバーも、この方式のディスカッションは今後も継続しておもしろく展開していきたいと言っていました。
この日、オープニングイベントは夜更けまで6時間くらいゆるゆると続きました。終始自宅のガーデンパーティのような雰囲気で、レジデンスアーティストや地元のアーティスト、アートに関心のある人たちが交流し、次につながるクリエイティブな遊びの場のようなイベントになっていたと思います。
R.A.T.およびプエルト・ミトラについてのインタビューより
私はメキシコでのリサーチとしてインタビューするときは、主に次のような質問をしています。
1──活動の生まれた背景について
2──運営方法（組織構成、運営資金のことなど）
3──活動の目的。誰にとってどのような状況を獲得するために行われているのか？なぜそれが必要だと思うのか？
4──「3」の目標を達成するために、その活動やアートがどのような機能を果たしているか？
1．についてはすでに上記で書いた通りです。そして2．主要メンバーについては、セルヒオ・ゴンサレス、ダニャ・レヴィン、オリバー・ダビッドソンという、建築家、人類学者など異なるバックグラウンドを持つ3人で運営しています。主体となる人が全員アーティスト以外のアイデンティティ、職業や収入源を持ちながら、非営利かつ彼らのボランティアで運営されています。ただし最近は、レジデンスアーティストは必ず１つ作品を残して帰ることを事前に約束することになっています。そして、それらの作品は①メンバーが共同で保管し、後に展示する、②アーティストを選考した人、制作を手伝ってくれた人へプレゼントする、③プロジェクトを存続させるために販売する、の3つの可能性を持っていることを、事前にアーティストに了承してもらっています。
さらに「3」と「4」について。彼らの興味の中心は、社会と関わるプロジェクトを作ることにあります。そのために、彼らはこのレジデンスで、社会学や人類学といった学際的なジャンルを横断しながらアートが生まれる状況を作り出し、アートの王道的なストーリーに亀裂を発生させたいと考えています。これは、社会問題をビジュアル化して再提示するというここ10数年のメキシコの現代アートシーンの流れ（もともとメキシコの近代以降のアートはそのような性格が強いけれども）が背景にあると思われます。また、R.A.T.にとって「社会」とは、すでに彼らの活動の中でやってきたように、いろんな枠組みを越えて個人的に繋がっているようなネットワークのことを指しています。
「そもそもR.A.T.に関心を持つ人は限られていると思うんだ。興味を持ち合える関係は自然発生的なものだし、人間性にもよるから。この関係性をどんなにパブリックに開いていこうとしても、自然に互いに興味を持ち合う関係で成り立っていることは変わらないと思う」（セルヒオ）
そのような関わり合いの中で、R.A.T.メンバーがそれぞれのバックグラウンドを活かし、レジデンスアーティストのプロジェクトに様々な情報をキュレーションしていくこと・・・彼らはレジデンスアーティストに方向性を与えたり提言したりすることはありませんが、常に異なる視点を提案しようとします。そういう意味で、R.A.T.とは経験を運んでくる車（vehículo）のようなものだとセルヒオは言います。
また、ずっと非営利ボランティアで運営してきた彼らは、貨幣の価値は可変的でフィクションであるという概念をもとに、この活動において何を交換しているのかということをずっと考えてきました。運営メンバーは、レジデンスプロジェクトでアーティストと経験を共有し、アーティストから生きる意義を精神的な交換価値として受け取っていると感じています。
R.A.T.は2012年にメキシコシティでプロジェクトを発展させたいアーティスト、キュレーター、批評家、アートマネージャー、研究者などを募集しています。滞在期間は最大3週間、宿泊施設、そして情報と人的ネットワークがサポートされます。
・募集要項　英語版 西語版
・応募用紙　英語版 西語版
・問い合わせ先
R.A.T.のfacebookページかウェブサイト（英語サイトはこちら）、またはメールアドレス：r.a.t.residencias.artisticas@gmail.com からお問い合わせください（英語、スペイン語でのコミュニケーションが可能）。
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4523/</link>
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	<item>
		<title>Nadegata Instant Party《全児童自動館》　　その4</title>
		

		<description><![CDATA[ひきつづき「アーティスト・イン・児童館2011 Nadegata Instant Partyプロジェクト《全児童自動館》」について。「子どもらしさ」を求める視線と「楽しいこと」という壁に囲われる児童館の中高生たち。彼らが子どもや中高生という殻を脱いで「小さな大人」になることで、その抜け穴を通ることができるんじゃないか、という希望をぼくは見ています。
 
ガチの文化祭ではなく
2010年からの約2年、ぼくもNadegata Instant Partyのメンバーも、放課後の中高生の気ままで不安定な生活に翻弄されながら交流を図り、試行錯誤を続けていきました。「児童館」という彼らの居場所も、言わば「壁」がつくりだす安心感によって守られています。 音楽を楽しみ、ケータイでつながり、1人になりたくない孤独を抱え、健やかにスポーツに興じることも、歓喜することも、塞ぎこむことも、ときには傷つけあうこともある。 めまぐるしく動く彼らの感情に触れる中で構想され、2011年2月末に発表されたプランは、しかし直後の震災を経てその実施をストップしました。この東京という中途半端な被災地の中で、何を立ち上げることができるのか、その判断を保留した数カ月後、プロジェクトの実施を2012年3月に定めます。
2011年12月、ナデガタの言わば熟達した正攻法である「お祭り」「映画」の2つを駆使した枠組みをつくることになりました。12月末の説明会では、なんとなく参加した子たちに「“児童館の文化祭をつくる過程を追ったドキュメンタリー映画を撮る”、という体でみんなには文化祭をつくってほしい」と先に伝え、今関わっている子たちは、なんだかわからないけどそれを了承したうえで「映画」と「文化祭」をつくっています。ナデガタは、震災以後の半分嘘みたいな現実を生きる東京の若者たちとそのリアリティを共有しながら、「映画」と「文化祭」をつくっていきます。
本物の文化祭はステージも演目も模擬店も、たいていのものはロークオリティでD.I.Y、すでにある「楽しいこと」のコピー、パロディでできています。それでもパフォーマンスを見に来るお客さんとして友達や家族がいて、受け入れ合うことで素敵な環と充実した体験ができるのが、文化祭のいいところです。
しかし、今回の「文化祭」はちょっと違います。1つはそれ自体が「ドキュメンタリー映画を撮りたい」というナデガタの希望（＝口実）に基づいたもので、本来は無かったものであるということ。ガチの文化祭にたいして、こっちは半分冗談なわけです。もう1つは客層が多岐に渡ること。地域のお祭として遊びに来る子どもたちや中高生、そしてその親や近隣の住民の方もいれば、アーティストの作品として鑑賞しにくる方も、教育系の事例として見学に来る方もいらっしゃるでしょう。そうした方々は、ガチの文化祭で見られるような「立派な」パフォーマンスではなく、全く別のものを期待しているでしょう。

「見えない壁」を使って遊ぼう
 
「子どもらしさ（あるいは中高生らしさ）」や「楽しいこと」は「見えない壁」となって彼らを囲っている。それは教育という制度や、マーケットというシステムが巧妙に仕組んでいる壁です。その中で彼ら中高生が「楽しいこと」を享受し、「らしさ」に応答することで安心感を得ているのも事実です。文化祭はその安心感を生む仕組みの1つかもしれません。
これに対してナデガタがつくる「文化祭」は、それらの「楽しいこと」や「中高生らしさ」を否定するのではなく、そのまま活かしたり、参照したりしながら別のものに見立てていく”仕組み”をつくりだしていくことでしょう。それは教育の、マーケットの、あるいはメディアが使っている仕組み、ぼくがしきりに言っている「見えない壁」のパロディであるように思います。社会がつくり出した仕組みと、それをパロディ化したナデガタの”仕組み”が拮抗するところで、亀裂が走るのを期待するばかりです。
3月17日(土)の「文化祭」当日は、純粋に楽しい1日になると思います。パフォーマンスとして、あるいは地域のお祭りとして、いろんな楽しみ方があるはずなので、一日いてもあきないはず。 ぼくの想像では、本番中、幾度と無く”中断”が起こります。その時、誰もが知っている文化祭の雰囲気がガラリと変わる瞬間がきっと訪れるはずです。それを見逃さないでください。
中高生にとっては、このプロジェクトに参加したところでメジャーデビューできるわけえでも、賞がもらえるわけでも、受験や就職に有利になるわけでもありません。ぼくは「これが最先端のアートで、君たちはその作品の作り手になったんだよ」などと価値付けをするつもりもありません。児童館での遊びの拡張版だと思ってほしいです。ただ、どうやってナデガタが”仕組み”をつくりだしているのか、そのプロセスを見ておいてほしいなと。そうしてぼくらが囲われている「見えない壁」を使って遊ぶ方法を、次は自分たちで実践してみてほしいというのが今回のプロジェクトに込めたぼくの願いです。
さて、これから10日間、Nadegata Instant Partyが中村児童館での怒涛の制作が始まります。これまで長々と書いてきたようなことも、ひょっとしたら全部覆されるかもしれません。
3月17日、ここに生まれる小さな奇跡をお見逃しなく。
http://zenjido.jidokan.net/
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4555/</link>
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	<item>
		<title>Nadegata Instant Party《全児童自動館》　　その3</title>
		

		<description><![CDATA[こんにちは、臼井です。ひきつづき「アーティスト・イン・児童館2011 Nadegata Instant Partyプロジェクト《全児童自動館》」について。「道化」のように楽しげなことを提供しつつ、参加者と共につくった”出来事”を「美術」として提示していくNadegata Instant Party。今回は、彼らを招聘する児童館とそこに集まる中高生の状況、それを見てナデガタを招待しようと思うに至った経緯について。

「子どもらしさ」という壁
2009年の12月から中村児童館にボランティアとして通い始めて、たくさんの中高生と出会ってきました。自分もそうだった（下手すれば今もそうだ）けど、周囲とどうやって関わったらいいのか、将来どうやって生きていけばいいのか、不安な時期を過ごしています。
通過儀礼を失った現代では「モラトリアム」と揶揄されるように、大人と子どもの境目はぼんやりしています。大人たちは、ある時期までは純粋無垢な「子どもらしさ」を求め、ふとした時から「大人」としての態度を求める。しかし、「教育」という制度が生まれる以前はすべての子どもは「小さな大人」だったわけで、「子どもらしさ」というのは先天的なものではなく、近代以降の考え方だと言えるでしょう。今、もう一度彼らを「小さな大人」として眼差すことは、いかにして可能でしょうか。
「児童館」とは、遊びを通した子どもの健全な育成を目的とする公共施設であり、その対象は0～18歳と幅広いです。午前中は乳幼児とそのお母さんたちのための場と活動を提供し、午後は放課後の小学生の遊び場になります。ドッジボールやけん玉、ピアノをならしたりマンガを読んだりするのが日常で、ときおり縁日をやったり、歌や踊りのイベントを開催したりしてハレの日もあります。児童館などの公共施設は、子どもたちにとってはちょっと違う遊びや、先生や親とは違う大人に出会える「サードプレイス」として貴重な場所です。その一方で、「児童の館」という名前のとおり、子どもが喜びそうな遊びが用意されていて、「子どもらしさ」をここでもまた求められるわけです。
もしかしたら自分は「遊ばされている」のかもしれないし、気付かないうちに「子どもらしさ」の壁に囲われてしまっているのかも知れない…、そんなようなことを漠然と不安に感じ、抵抗をはじめるのが、いわゆる思春期というか中高生ぐらいの年代です。

「楽しいこと」という壁
放課後の小学生の児童館のこれまでのスタンダードな姿ですが、近年では「中高生の居場所づくり事業」という政策が始まり、中高生が児童館を利用する、という新しい状況が生まれています。練馬区立中村児童館は、練馬区内で最初に中高生の居場所づくり事業を展開し始め、なかなかの成功を収めている一方、利用者が広がりきらない、他の児童館にノウハウが共有されない、などの課題も残しています。
交通費さえなんとかなれば大抵の場所には行けてしまうし、インターネットがあれば大抵のことを知ることができる時代。現在の中高生の状況を観てみると、中学3年生のケータイ保有率は50％を超え、高校2年生になると90％を軽く超えています*。その中でmixiやtwitterなどのSNSを利用する子がほとんどで、実際ぼくの「マイミク」や「フォロワー」にも中高生が何人かいて、交流もあります。特に東京に住む中高生たちの周りにはありふれた「楽しいこと」があふれていて、例えばファッションや音楽、テーマパークやカラオケ、旅、スポーツなど、「大人の嗜み」としてトレンド化されたものに触れることはたやすいのです。それらを「楽しい」「かっこいい」とする価値基準を他者と共有することで、つながり、満たされる。例えば「音楽」はその共有に「バンド」のような具体的な形や感覚を与えます。児童館にいる中高生たちの中には、何かしらの楽器ができる子がとても多く、「音楽」を1つの媒介に、児童館はつながりを醸成しています。
しかし、音楽をはじめとする彼らにとっての「楽しいこと」はマーケティングされ次々に生み出され、壁のように彼らを囲っています。子どもっぽいものはイヤだ、と思った次のステップが、もうすでに用意されている。その閉塞感はなかなかしんどいんじゃないかなぁと感じます。児童館に集まる中高生たちは、なんとなくその「壁」から逃れようとしているようにも感じるわけです。その閉塞感、というか「見えない壁」のようなものの存在に対して敏感な子が多いんじゃないかなという印象があります。
「個人の意志」、「小さな大人」という希望
児童館は、小学生にとっても中高生にとっても家庭や学校とは違う場所で、違う価値基準で、違う大人と関われる「サードプレイス」。しかし、そこは子どものために用意された「楽しいこと」と「子どもらしさ（あるいは中高生らしさ）」を求める眼差しという２つの「見えない壁」に囲われた場所でもある。
と批判してみたものの、ぼくがこの施設に希望を持っているのには理由があります。１つはこの場所に来る人たちは「個人の意志」あるいは「友達同士の合意」のもとに来ている（つまり親や先生の指示でなく、自分たちの意思である）というところ。もう1つは、時として児童館の運営をサポートする「スタッフ」として、大人と同じポジションに立つことが出来る場所だというところ。特に中村児童館はこのあたりを巧みにマネジメントしています。 もういわゆる「子ども」じゃないし、放課後だから「生徒」を演る時間も終わっている。この２つの条件があれば、彼らを「子どもらしさ」に押し込めることなく、「小さな大人」として眼差しうると考えています。
中村児童館に通うなかで、アホで優しくて繊細な中高生に好感を抱きつつ、放課後の時間に開かれた可能性にときめくと同時に、彼らがつくる奇妙な閉塞感を強烈に感じました。この奇妙な閉塞感を生み出す「見えない壁」を扱える人はどんな人だろう。単に「楽しいこと」のではなく、「楽しいこと」の価値を混ぜ返せるアーティスト。そうして思い浮かんだのは、ぼくが最初に違和感を持ったNadegata Instant Partyでした。かくして中村児童館に集まる中高生はこのなんだかわからない大人たちと出会うことになったのです。
つづく
*ベネッセ教育開発センター調べ（http://benesse.jp/berd/data/dataclip/clip0001/index.html）
]]></description>
		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4537/</link>
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	<item>
		<title>Nadegata Instant Party《全児童自動館》　　　その2</title>
		

		<description><![CDATA[こんにちは、臼井です。ひきつづき「アーティスト・イン・児童館2011 Nadegata Instant Partyプロジェクト《全児童自動館》」について。美術のための作品制作と、遊びのための活動の普及という２つの目的を統合することを目指すアーティスト・イン・児童館では、中高生の居場所づくり事業を行う練馬区立中村児童館に、アーティストユニット「Nadegata Instant Party(中崎透＋山城大督＋野田智子)」を招待します。今回は彼らの魅力をぼくの視点から書き連ねてみます。
文化祭っぽい、現代美術　ーNadegata Instant Party
文化祭っぽい！これがNadegata Instant Partyの最初の印象でした。2008年の「赤坂アートフラワー」で見た《Offline Instant Dance》のイベント後の展示物は、ベニヤ板にペンキで塗られてできた舞台装置。D.I.Yでパッと見ではロークオリティ、片付けていないだけのように見える「使用後」感。その当時20歳のぼくの中には「美術を鑑賞する」ということの既成概念がもう出来上がっていて、えー、こないだまで自分がやっていた「文化祭」と変わらないじゃん、これが美術なの？という違和感がはじまりでした。しかし、どうにも気になって他のプロジェクトを調べていくと、そのチャーミングな悪ふざけに引きこまれていきます。その後展開していく、美術館を舞台にした市民映画を口実に本物の展覧会をつくってしまった《Reversible Collection》や、テレビ局をつくろう！というふれこみで200人の市民と共に24時間の熱狂の生放送を繰り広げた《24 Our Television》などは、ぼくの目には慎重に仕込まれた？圧巻のハプニングでした。
中高生と何かやってみたい、と考え始めていた2009年頃、彼らと何かできないだろうかと考え始めました。そこでぼくが見たいものは2つありました。1つは、「文化祭」のような雰囲気でその場を遊びたおす彼らですが、中高生が参加者であればリアルタイムで体験している本物の「文化祭」との差異が見えるんじゃないか、ということ。2つめは、その差異にこそ、アートの文脈の上で彼らが挑んでいる主題があり、それを描き出す技術は今世の中が求めているものなのではないか、ということ。
道化か、美術か
Nadegata Instant Partyは、映画やテレビ、テーマパークなどの大衆文化やエンタテイメントのパロディを用い、さらには既存のアート（比較的新しいとされる「参加型アート」さえ）もパロディ化しながら現代美術として自らを位置づけています。マーケットや教育やマスメディアあるいは「参加型アート」が使う”人々を動かす仕組み”を、とぼけたネタの口実をもとにインスタントに組み立てつつ、実際に人々が集まり動いていく”出来事”を生み出していく。その”仕組み”と”出来事”をセットで作品として発表しています。 特有のグダグダ感をもって、その場に居合わせた参加者／観客に（違和感や疑問も含めて）ある楽しげな体験を与える「道化」のようにも見えますが、深めて見ると、社会の制度や観客のまなざしを批判的に扱う「コンセプチュアル・アート」の系譜にあることが納得できます。この２つの側面を持ち合わせていることが彼らの魅力であり、戦略なのでしょう。
ナデガタの「映画をつくろう！」というようなキャッチーなコピーは多くの人の興味を引きつけます。アートであろうがなかろうが参加者にとっては映画づくりに参加することが目的であり、ナデガタは「道化」としてその目的を共有しつつ、一方でその一連の”出来事”を「美術」として提示していきます*。参加者にとっては映画作りだけで得難い体験だし、学ぶこともたくさんあるでしょう。しかしそれだけでなく、ぼくはこのナデガタの「美術としての提示」の方法のなかに、今世の中が密かに求める”新しいリテラシー”があると見ています。１つはありふれた「楽しいこと」を参照してお祭りをつくりだす「D.I.Yの技法」であり、もう1つはぼくたちを取り囲んでいる「見えない壁」を使いこなす「仕組みづくりの技法」です。前述した文化祭との差異は、まさにこの「仕組みづくりの技法」にこそあると思っています。
これらの技法をもって作品をつくるナデガタと、「児童館」という場所、「中高生」という存在がどんなふうに織り合わさっていくのか。次回はこの児童館と中高生について書いていきます。
つづく
http://zenjido.jidokan.net/
* こう書くと「ナデガタは自分たちの目的のために市民を搾取している」と批判を食らうことがありそうですが、ぼくはこの批判には賛成しかねます。 水戸芸術館、国際芸術センター青森、月見の里学遊館などの事例を見てもわかるとおり、ナデガタのメンバーも担当されていた学芸員の方々も参加者との関係を続けています。確かに、参加した人たちの人生に大きな影響をあたえたかもしれません。しかし、音楽の事例を見ればわかるように、芸術にそのような力があることは自明のことでしょう。
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4515/</link>
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	<item>
		<title>Nadegata Instant Party《全児童自動館》　　　その１</title>
		

		<description><![CDATA[
こんにちは、臼井です。前回までは子どもの放課後とアーティストやクリエイターの関わりについての事例を調べ、書き連ねてきましたが、今回から自分の仕事である「アーティスト・イン・児童館」の最新プロジェクト、 Nadegata Instant Party(中崎透＋山城大督＋野田智子)による《全児童自動館》についての記事を書いていきます。もともと編集の齋藤さんからのオーダーは「児童館の活動で何か新しい展開があれば」ということで、このことを書くまでにちょっと回り道をしてみたのでした。

アーティスト・イン・児童館2011では、2010年度からアーティストユニット「Nadegata Instant Party(中崎透＋山城大督＋野田智子)」（以下：ナデガタ）を練馬区立中村児童館に招待しています。中高生の居場所づくり事業「なかなかTIME」（毎週水曜日と土曜日の週2回、17:00~19:00の２時間は中高生専用の時間）と連動しながら、児童館に集まる中高生とじっくり交流を深め、そしてついに館全体をつかったプロジェクト《全児童自動館》が始まります。中高生がつくるオリジナルの「文化祭」の開催までを追った「ドキュメンタリー映画」。現在、その制作が始まり、開催2週間を迎えいよいよ盛り上がっている。
全児童自動館ウェブサイト：http://zenjido.jidokan.net/
アーティスト・イン・児童館というプログラムの紹介から、Nadegata Instant Partyというアーティストについて、そして会場となる練馬区立中村児童館とそこに集まる人達のこと、最後に彼らとともに実践しているプロジェクトへのぼくの希望を書いてこの連載を締めようと思います。もう数回、お付き合いください
新しい実践の土壌をつくる　―アーティスト・イン・児童館
「アーティスト・イン・児童館」とは、アーティスト（現代美術家）を、遊びを通して子どもの健全な育成を目指す施設「児童館」に招聘し、作品制作のためのアトリエ、ステージとして活用するプログラムです。ぼくが学生だった2008年頃に、子ども向けワークショップの手伝いなどをするなかで考案し、大学の奨学金を使って開始しました。現在までに4組のアーティストを招聘し、練馬区内の5つの児童館で実施されています。
このプログラムの狙いは、美術作品の制作と、子どもの遊びの普及・教育活動という２つの目的を統合した新しい実践を展開することです。さらに言えば、 2009年より東京都の文化政策の１つである「東京アートポイント計画」の一環として行われている本プログラムは、遊びと美術が接続し、新しい文化的実践の土壌を切り開くことを一つの使命としています。とはいえぼく自身はこれまでアートマネジメントのキャリアが無いままやっているので、暗中模索もいいところですが、この暗中模索にしかできないことをやっている、という自負があります
この「アーティスト・イン・児童館」というプログラムの提案と実施を通して、新しい「美」の捉え方に挑み続けるアーティストと共に、子どもたちが彼らの特技である「遊び」をもってその実践に参加しながら、”出来事”の作り方を学びとっていくことを期待しています。この”出来事”をつくる美術の有り様は、学校で習う計画の建て方や計算の仕方とは別のリテラシーであると考えています。また、子どもという存在、遊びという技法を作品に織り込むことで、アーティストが新しい「美」を提案してくれるよう期待し、そのサポートをします。遊びの中にいる子どもの無計画で即興的な行為の軌跡は、予定調和な美を問い直すエッセンスであると考えています。
そんな思いを持って展開しているこのプログラムですが、実施する児童館とアーティストをぼくがリサーチに基づいて選び、交渉しています。ではなぜ、このNadegata Instant Partyというユニットと練馬区立中村児童館と出会わせることを試みたのか。その経緯を記しながら、次回は招待作家、Nadegata Instant Partyについて書いていきます。
続く。
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4508/</link>
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	<item>
		<title>駅前の庭とディエゴ・テオ（シエンプレオトラベス）</title>
		

		<description><![CDATA[
「シエンプレオトラベス」のドローイング
地下鉄駅前広場の庭
突然ですが思い切って語ると、私の夢は過去に美術や音楽や踊りが生まれたみたいに、現代の社会に暮らす人々のふるまいや思想の中から試みられかたちを現すような文化や芸術の生まれたり育まれる場に立ち会うことです。
今回渡墨するにあたって、民衆による革命、壁画運動のような社会運動と結びついた芸術の歴史を持つメキシコでは、民衆のニーズから文化芸術が生まれるシーンに出会えるんじゃないか、という漠然とした期待がありました。
実際には今、第2回ブログで書いたリサーチ目標の「コミュニティの中に内在している文化や芸術を発見すること」は、正直言って難しいと感じています。当事者が文化や芸術と認識したり表明したりしていないようなものについて情報を集め、文化芸術だと認識することがとても難しいからです。
なんですが、こういうことかもと思える風景が私の家の近所にもありました。
私が今住んでいるエリアは、メキシコシティの中心街より南にあるディビジョン・デル・ノルテという地下鉄駅のそばにあります。大通りの両側には地下鉄の入口と広場があって、一方の広場にはよく見かける街路樹が、もう一方の広場には明らかに種類も色どりも多い植物があります。その風景がやけにインパクトがあるなあと思っていたところ、昨年末に同じアパートに住むアーティストのディエゴ・テオとその広場を通りがかったときに、彼がその広場のことについて教えてくれました。
それらの植物は60年くらい前からこの路上で物売りをしている先住民の家族たちが植えたもので、今や彼らの庭のように見えるこの広場には、彼らが食べるためのフルーツや野菜、バナナ（葉っぱでタマーレスを包んで蒸すため）や薬草、そして彼らに馴染み深い植物の竹などが植えられているのだそう。さらに地下鉄駅の周辺にはいくつかの先住民の家族が物売りをしていてずっと路上に暮らしていたのだけど、25年くらい前に目の前のビルが空いてからは、集まって秘密にそのビルに暮らしているのだということ。
「まるでここらは彼らの自治区みたいだろ？」とディエゴは言います。メキシコ市によって管理されている土地を彼らは着々と耕し、拡げ、食べ物を植え、それらはますます視覚的なインパクトを放っています。
彼らにとってこの庭はアートではないけれど、水をやったり丁寧に葉を間引いたりしている彼らを見ていると、この庭が彼らの生活を心身ともに豊かにしていることをひしひしと感じます。
都市の一部分を侵略しているようにも見えるけど、彼らにとってはごく自然な自律的な生活のあり方だったんだろうな、でもそれにしてもすごいね、いいねと、ディエゴと話しました。
先日、このブログを書くために、もう一度この庭をディエゴと訪ねたところ、最近彼らの家である空きビルに買い手がついたために、バリケードが立てられて取り壊 しが始まっていました。住み処がなくなって、自分の村に帰ってしまった一家もありますが、今も90歳のおばあさんをはじめ、その娘家族や叔父家族らが、彼らの庭のある路上に住んでいます。
ディエゴ・テオ（Diego Teo）とシエンプレオトラベス（SIEMPREOTRAVEZ＝いつでももう1回）
この庭のことを教えてくれたディエゴ・テオは1978年メキシコ市生まれのアーティストで、2002年から工業製品を使った立体作品やインスタレーション作品を発表し、活動初期からメキシコの現代美術ギャラリーや美術館、アートフェアで活躍していた一人です。ここ数年はギャラリーや美術館で個人として作品を発表することはすっかりやめてしまい、最近ではウイチョル族やラカンドン、オアハカ州の先住民などの村を訪ねて儀式やデモに参加したり、ジャングルでビデオを撮ったり、村の廃墟で壁画を描いたり、といったことを先住民たちと一緒に行っています。それらのビデオや壁画は、そのまま展覧会として発表されることはほぼなく、主にディエゴと先住民たちにとってその時その場所のための遊びや創作として行われています。
ディエゴに、なぜ以前のような作品を作ることをやめたの？と聞くと、「いくつか理由はあるけど、もっとアートの外の人と話したいと思ったから」と言います。今の彼の興味は、それまで創作していたようなアート作品が媒介しなかった人たちと対話することにあるようです。つまり自分とは民族も社会背景もアイデンティティも生活や文化に対する考え方も違っていて、現代美術に全く関心のない隣人である先住民たちと、何を共有したらどんな対話が可能なのか、どんな対話が必要なのかということを考えています。
そして頻繁に先住民の集落を訪れる一方で彼が続けているアート活動の一つが、「シエンプレオトラベス（SIEMPREOTRAVEZ＝いつでももう1回）」です（ウェブサイトがかっこいい！）。これはアンドレス・ビジャロボスとディエゴ・テオのコラボレーション名／プロジェクト名で、ラジオ番組や映画の創作、デモでのパフォーマンス、ドローイングセッションなどに友人たちを呼びかけ、ワークグループを作って1日限りのセッションを行います。ディエゴにとって、先住民たちと行われる上記のような対話の試みに対して、「シエンプレオトラベス」の活動は主にアーティストの特定多数の友人たちとの瞬間的な共同作業で生み出されるアートのかたちにフォーカスしています。
「シエンプレオトラベス」は、その日その場に集まっては何かをやって消える繰り返しで後日その記録がウェブサイトなどに公開されることもないのですが、唯一その活動を目にすることができるメディアとして新聞を発行しています。ファンタズマ（幽霊）のように現れては消える彼らの活動から「PERIÖDICO FANTASMA（ペリオディコ・ファンタズマ＝幽霊新聞）」と名付けられたその紙面には、日々彼らが描きためている小さなドローイングとテキストがみっちり詰まっていて、おそらく彼らが今後具現化していくであろうアートのための断片的なエスキースになっているんじゃないかと思います。そんなディエゴと「シエンプレオトラベス」の日々のプラクティスには、先住民達の庭に似た、熟成されていく戦略的でない戦略のようなものを感じています。
最後に彼の作品などを紹介します。
「ワークショップを共有する
知り合うための対話をする
すると、たぶん何かが起こる。
探索し続けること
交換、友情、戦い、変化、衝動、瞬間的、陽気な叫び、
いつもいつもいつでももう一回。」（日本語訳）
&#8220;Emigración&#8221; , photo by Diego Teo
&#8220;SIEMPREOTRAVEZ&#8221;, all photo by SIEMPREOTRAVEZ
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4440/</link>
			</item>
	<item>
		<title>放課後アートリサーチ 06: 劇作家 岸井大輔《こどもkichi》その2</title>
		

		<description><![CDATA[こんにちは、臼井です。ブログの更新も8回目。今回は岸井大輔さんの《こどもkichi》の2回目です。前回のテーマを引き受けて、「遊ぶこと」と「公共事業」について。


「砂場」のような物語の場
「遊ぶこと」は即興的でそのプロセスはめまぐるしい変化に富み、完成することはありえません。土をみて穴が掘りたくなったら、掘って出た土を見て山をつくりたくなり、山を見てトンネルを掘りたくなり、トンネルを見て水を流したくなるでしょう。そして最後はぐちゃぐちゃにして泥まみれになる。そして次の日にまた繰り返す。「勝手に”川”をつくるな」とか「そこに穴ほったら”山”が崩れるだろ！」とかケンカもすれば、「あ、そこに水溜めるのいいね！」みたいなノリを生むことも多々あります。それぞれが思い描いている世界があって、衝突したり、融合したりする現場として「砂場」は社会の縮図のように思えます。
《こどもkichi》を見ていて思い浮かべたのは、この絶えざる融合と衝突の現場としての「砂場」でした。ペンキを本当に自由に使わせたら部屋中ぐっちゃぐちゃになってしまい楽しい世界はできない。床や道路にぶちまけるなど様々な失敗を通して、「床にペンキを垂らしたらその日はペンキ終わり」というルールをつくることで、ペンキを垂らさないように丁寧に塗る技術を習得していったとのこと。人と空間をつくりかえていくグルーヴと、共存するためのチューニング（あるいは「自治」）の方法をここで学んでいく。古くなった民家で、子どもと大人も混ざり合いながら、《こどもkichi》は「砂場」のような物語の場でした。奇しくも、ぼくが行った数日後にこの場所は取り壊されます。

「遊ぶ」ための公共事業
 
こんなふうにして遊びが生まれ、そしてそれが「東京アートポイント計画」という公共事業の1つのモデルになった。ぼくはこの《子どもkichi》が「空き家」を使ったことに大きな希望を見ています。戦後以降、人口の増加に伴ってガンガン家をつくり続けてきた日本ですが、人口の減少が始まり、すでに多くが「空き家」になり始めています。土があって、自由にほじくって遊べる「空き地」を埋め尽くしてきた建築を、もう一度遊び場にできる時代になったんだなぁと感じます。そしれそこでの遊びは《こどもkichi》の事例を見ればわかるように、子どもたちや周囲の大人たちとの新しい関係を築いていく仕掛けになっていきます。純粋な消費としての遊びではなく、遊びの周囲に様々な波紋を呼ぶシステムになっているといえるでしょう。
もちろん、法律とか権利の問題でそう簡単にはいかないでしょう。その場所に「活動」を入れ込んでいく法的、人的な手続きが必要になる。これがもし「空き家の活用」を目的とする「公共事業」であるならば、空き家で何かできることになったとしても、そこから先は子どもと共につくっていかなくてはなりません。ここで遊ぶことを選んだ子どもたちは、（図らずして）この「公共事業」の主体になっていきます。
子どもたちに遊びを提供するのではなく、彼らの「遊ぶ」をもって行為とともに場所を活用していく協働が必要になる。そういう場所を想像し、創造していくリテラシーのようなものが、ぼくは今必要なんじゃないかと思っているわけです。
！！次回予告！！
さてさて、次回からは本業の「アーティスト・イン・児童館」のことを書いていこうと思います。
現在アーティストユニット「Nadegata Instant Party(中崎透＋山城大督＋野田智子)」が中高生がたまる児童館、練馬区立中村児童館でプロジェクト《全児童自動館》を展開中。3月17日のビッグイベントに向けて、制作が始まっています。お楽しみに。
http://zenjido.jidokan.net/
]]></description>
		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4435/</link>
			</item>
	<item>
		<title>ルイス・ニシザワ・アーカイブプロジェクト──3</title>
		

		<description><![CDATA[ルイス・ニシザワ　インタビュー
2010年1月、ルイス・ニシザワ邸にて
はぎのみほ＋ソリージャ・タロウ「プロジェクト・ハポン−きおくのなかのくに−（Proyect Japón -Un País en las memorias)」（2010, メキシコシティ国際空港内ギャラリー）のためのインタビュー
All photos by Miho Hagino
]]></description>
		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4390/</link>
			</item>
	<item>
		<title>AMU『秘密基地ヲ作ロウ。』トークイベント告知。</title>
		

		<description><![CDATA[
『秘密基地ヲ作ロウ。』のロゴマークは太陽と月の二つがあります。
太陽のイメージは、今までやってきた昼間の子どもたちとともに小学生に対してのワークショップ。
そして、もう一つの月は、夜。大人たちに対して今回の『秘密基地』の活動をアプローチをイメージしています。
その、月のイメージの最初の試み。恵比寿のAMUというスペースにて、横でblogを描いている臼井君をインタビュアーになっていただき、村上祐資が今回のワークショップを振り返るトークイベントを行います。
是非、お越し下さい。
詳細は下記の通りです、よろしくお願いします。
いま、サバイバル建築。
～遊ぶことは生きること。──巣鴨放課後子ども教室〈秘密基地ヲ作ロウ。〉をふりかえる～
2012年3月9日（金）　19:30～21:00（開場19:00）
AMU
東京都渋谷区恵比寿西1-17-2
03-5725-0145
JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン　恵比寿駅西口　徒歩4分
東京メトロ日比谷線　恵比寿駅4番出口　徒歩2分
http://www.a-m-u.jp/event/2012/03/himitsukichi.html
]]></description>
		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4420/</link>
			</item>
	<item>
		<title>ルイス・ニシザワ・アーカイブプロジェクト──2</title>
		

		<description><![CDATA[パブリック仕様のアーカイブについて知識経験のないチームでプロジェクトをスタートするにあたって、このブログの編集担当者・斎藤歩さんにはデジタルアーカイブのあり方について、テクニカルの細々したことについてはウェブデザイナーの木村利行さんに相談に乗っていただきながら進めています。本当にありがとうございます。
このアーカイブプロジェクトにおけるコンテンツは、次の3つです。
①ドキュメンタリー映像の制作
→本人や関係者へのインタビューを継続中。
②資料の目録作成とデジタル化
③展覧会の実施
→インディペンデント・キュレーターのバルバラ・ペレアとともにアーカイブコンテンツ①②とともに構成するルイス・ニシザワ展を企画調整中。現在、ペレアがすべての作品の所蔵先を調べている。
ここでは②資料目録の制作と資料のデジタル化について、現在の整理状況と課題について書こうと思います。
アーカイブの方法について（資料の目録作成とデジタル化）
資料の種類
ルイス・ニシザワに関して記述されているパンフレットや図録、各賞受賞についての新聞記事、論文、デザイン切手など、ルイス・ニシザワについて記述されている資料。主に、雑誌／新聞／図録／パンフレット／書籍／その他（招待状、賞状、新聞等のコピー）。今後、アルバムの写真や手記などが含まれてくる可能性あり。
アーカイブの目的
本アーカイブの資料からアーカイブ対象（ルイス・ニシザワ）に関する多種多様な知識・見解・研究が新たに創出されること。そのような知的作業に興味をもつ個人がよりアクセスしやすくなるようなデジタルプラットフォームのモデルを作ること。
アーカイブの用途
ルイス・ニシザワに関する情報を知りたい人のために、将来の資料の紛失・離散と資料内容の転移性を考慮して、正確な文字資料とイメージをデジタルアーカイブする。今後は他の日系人アーティストのアーカイブも追加してシリーズ化できるようにし、アーカイブシリーズ全体を該当機関に委託したい。
そのほか、①ドキュメンタリー映像の付属資料、③展覧会のコンテンツとしても使用予定。
資料収集の方法
ルイス・ニシザワ本人、ご家族や世話係の方からの了解を得て、月に1回程度自宅を訪れ、まずはもっとも資料がまとまっている自宅のアトリエの本棚から探し始めている。ニシザワ氏は毎日アトリエで制作を続けているので、制作の邪魔をしないこと、また体調に差し障らないよう配慮して、アトリエで作業する時間は1回に3時間程度にし、探し出した資料を毎回20冊程度ずつ借りて帰って事務所で作業。現在70冊を作業中。
資料の量
写真や手記などこちらからアーカイブしたい資料を伝えて、世話係の方に探してもらっているため、資料の全体量は現在では見えていない。
資料目録の作成プロセス
今後多くのプログラムに応用するために、まずはエクセルでリスト作成。記録する項目については、論文等の参考文献照会に必要な情報のみ作成。
タイトル／巻および号／著者、訳者、編集者／該当ページ／発行元または出版元／発行年月日／ISBN／概要（見出し、記事タイトル、展覧会情報など）／資料の種類（新聞、雑誌など）／資料保管場所（自宅アトリエなど）
なるべく項目を少なくするために、破綻のない程度に項目をまとめ、00001から通し番号をつけた。当初から斎藤さんに、どの資料がどのようなかたまりにあったかも重要だとアドバイスいただいていたので、「資料の保管場所」の項目を追加した。ただし今回の場合は世話係に探してもらうことが多く、現状では各資料のかたまりについて詳細に記録するのは難しいため、”自宅のアトリエ”などの部屋単位で記録している。
文字資料やイメージのデジタル化のプロセス
新聞や雑誌は、表紙と該当ページを家庭用スキャナーでスキャン（300dpi、大判資料は写真撮影）。ファイル名は”年月日_資料名_ページ数”で統一して、1ページにつき1ファイル（jpg）を作成。1冊分をフォルダにまとめ、エクセルリストの目録情報をすべてコピー＆ペーストしたテキストファイルを加えてZIP保存。すべてのフォルダはDropbox上に保存している。
現在考えている、次の課題
次のステップでは、これらの資料目録とデジタルアーカイブを、追加や更新しやすく第三者に見せるためのプログラムに移行させることです。
その上で、パイサヘ・ソシアルでは次のような課題と仮定を持っています。
1──将来的に該当機関へアーカイブシステムを委託し、ユーザーへ届けることを念頭においたときに、考えなければならないことは何か？
→方法として、大きく2つの可能性を考えています。
（1）より一般的なデジタルプラットフォーム（容易に管理・メンテナンスできるプログラム）を使って稼働経験があるデジタルアーカイブから知識を輸入し、 メキシコもしくはスペイン語の現状にあわせてプラットフォームを適合させること、その上で経験値のあるシステムエンジニアを断続的に交流させ、ブラッシュ アップしていく。
（2）すでに国際的な規格でポジティブモデルとされるデジタルアーカイブがあるならば、国内外問わずその技術を持つエンジニアに委託し、アーカイブはオンライン上のアクセス、公開に特化する。
また、どのような機関にシステムを委託することが望ましいのか？　アーカイブの公開の範囲や、有料／無料によるメリット・デメリットは何か？
2──管理者と検索者にとって使いやすいメディア、またはユーザーインターフェースとは？
→仮にターゲットユーザーを絞り込む必要があるならば、芸術や歴史などの知識を創造し社会に貢献する人
3──今後、あるアーティスト（人物および作品）についての文字や写真などの情報をどのように分類していくか？
→人物別+時系列
4──デジタルアーカイブの利用価値をどのように示すか？
→なるべく恣意のないアーカイブを構成し、情報内容が長期にわたって保管および参照できる状態が利用価値につながる
ただし、上記はいずれも他の課題をクリアしていくなかで変更していく可能性もあります。常に新しい判断なので、見落としている検討事項は何かということが、常に気になります。
メキシコでいくつかのアーカイブ機関を見たり話を聞いたりしていますが、そのデータベースをどのようにユーザーに公開し、活用するのかというプラットフォームづくりに関しては、どこの機関も試行錯誤中のようです。
アーカイブズ学やアーカイブの国際規格が発達して来ている現在、このプロジェクトではそれらの中から何をどのように反映することができるのでしょうか。
このブログを読んで助言をお持ちの方は、ぜひコメントをお願いします。
]]></description>
		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4334/</link>
			</item>
	<item>
		<title>ルイス・ニシザワ・アーカイブプロジェクト──1</title>
		

		<description><![CDATA[日系人アーティスト、ルイス・ニシザワについて
日本から最初のメキシコ移民団35名が海を渡ったのは1897年。この時代の日本は、長男だけが家業を継ぐことができ、第二子以後には奉公に出る以外に仕事がなかったため、政府が移民支援を行いました。一方当時のメキシコ政府は、新しい農地を開拓するために働き手が必要で、そのため日本から移民を招きました。昨今ではメキシコに住んでいる日系人の数は18,000名近い*とされています。
このアーカイブプロジェクトで紹介するルイス・ニシザワ（1918–）は、その最初期の移民団の一人であった日本人の父とメキシコ人の母を持つ、メキシコ生まれの日系メキシコ人です。主に風景画家として知られていますが、1920年代から30年代にかけてメキシコの壁画運動の巨匠たちが大いに発展させた社会主義的リアリズムの影響を受けながら創作をスタートし、その後、それにとらわれず時代の表現を試み続けてきた作家です。当時若いアーティストの誰もがそうであったようにディエゴ・リベラに憧れ、ダビッド・アルファロ・シケイロスらメキシコの重要な作家たちと親交を結びながら、メキシコの近代美術史を担ってきた作家の一人です。そして1996年にはメキシコで最も栄誉ある国民芸術賞（Consejo Nacional para la Cultura y las Artes）を受賞し、その作品はメキシコ大統領官邸や州政府庁舎などでも見ることができます。さらに日本でも瑞宝章を受賞しています。
私自身、日本人として外国に身を置いてことさらに感じることですが、移民の2世として国民的アーティストになるということは、どのような困難な道のりなのでしょうか。このプロジェクトでは、まず作家としてのルイス・ニシザワの活動について、そしてもう一方でルイス・ニシザワが（おそらく無意識的に）担ってきた日本・メキシコ両国の文化交流に果たした役割に焦点を当てています。
1930年代のメキシコは非西洋文化のエキゾチシズムに包まれた国として知られ、アントナン・アルトー、アンドレ・ブルトン、ルイス・ブニュエルらヨーロッパの多くの文化人が多大な想像を抱いてメキシコを訪れています。そして、1930年に来墨したセルゲイ・エイゼンシュテインがリベラの案内でメキシコの歴史、生活、風物について知り、その後映画「メキシコ万歳！」を制作したように、彼らが抱く想像上のメキシコに対して「現実のメキシコ」への視座を与えていたのは、彼らが出会った、リベラをはじめとするメキシコのアーティストたちでした。
1960年頃からは日本からも、河原温、阿部合成、太田清人ほかメキシコに多くの憧れを抱いてアーティストたちがやって来ています。そのとき、多くの日本人アーティストがメキシコに着いて紹介されたのがルイス・ニシザワでした。
特に親交が深かったのはマヤ遺跡の拓本で知られる利根山光人で、日本でルイス・ニシザワを紹介したきっかけも利根山光人だったと聞いています。メキシコの様々な遺跡や密林に出かけていた利根山のそばにはいつもルイス・ニシザワがおり、一方でルイス・ニシザワは利根山光人を通じて東洋の技法を多く学びました。
そしてもう一人、ルイス・ニシザワが親交を深めた日本人アーティストに岡本太郎がいます。岡本太郎は1963年に初めてメキシコを訪れ、その後「明日の神話」制作のために1967年から1969年にかけて頻繁にメキシコを訪れていました。その際、ルイス・ニシザワが壁画制作にかかる画材の手配や現場監督などあらゆる面で支えたと言われています。ルイス・ニシザワは、岡本太郎と旅したソチミルコやテオティワカン、ユカタン地方のこと、メキシコで食べた料理の思い出を語るとき、「彼はスペイン語は話さないけど、メキシコ人みたいな人だった。」と言っていつも顔をほころばせます。そして同時に、尊敬していたとも語ります。
これらの出会いの中に、芸術上の相互影響がどれほどあったのかを言うことは私には難しいですが、アーティストたちが旅するとき、必ずともに価値観や文化が移動し、移動先で融合もしくは反発し合い新たな価値観が形成されていく、そのような日本とメキシコの交わる点にルイス・ニシザワの存在があったことは事実です。
アーカイブプロジェクトのきっかけと目的
「クリスタル・ジャングル展」（メキシコ国立自治大学チョポ美術館、2011年2月〜5月）とドキュメンタリー映像制作のためにたびたびルイス・ニシザワの自宅を訪れていたはぎのみほとソリージャ・タロウは、2011年春にエバ夫人が亡くなられた後、アトリエや自宅にあるものの配置がエバ夫人の生前と変わっていることに気づきました。現在の家族のなかに作品を管理する人がいないこと、トルーカ州のルイス・ニシザワ美術館をはじめ、メキシコにも日本にもルイス・ニシザワの功績を残し伝えるための基盤がないために、「国民的アーティスト」にも関わらず、ルイス・ニシザワの作品や資料についての記録が失われていく危険を感じました。
さらに、移民研究を続けていた二人は、昨年の在メキシコ日本大使館移転にともない、その蔵書のすべてが一般の希望者に配布されたことを知りました。二人も大使館から貴重な移民研究資料を借りていただけに、そのアーカイブが所在のわからない方法でバラバラになったことにショックを受けました。何らかの事情があるにせよ、日本とメキシコに関する貴重な資料のアーカイブが失われていっているという事実は残念なことです。
これらの事実を受けてスタートしたこのアーカイブプロジェクトは、ある国民的アーティストについての英雄伝的記録を作ることや、世界の美術史における美術品的価値を高めることではありません。作品の評価を求めないということではなく、世界の美術史に則ってそれを評価することは、その専門家に任せるためです。つまりこのプロジェクトの目的は、人種や肌の色などが欧米に準じない「移民」である近現代のアーティストたちの活動を記録し残していくために、アーカイブという手法を試すことです。ここにも第４回ブログで紹介したパイサヘ・ソシアルのコンセプトが働いています。
＜参考文献＞
「ルイス・ニシザワ展：信州ゆかりの現代メキシコ美術の巨匠」図録 （長野県信濃美術館、1992年）
エイゼンシュテイン全集　第1部　人生におけるわが芸術　第4巻　映画における歴史と現代（キネマ旬報社、初版1976年）p.63
ルイス・ニシザワ氏へのインタビューより（2012年2月6日ルイス・ニシザワ邸）
＜参考リンク＞
岡本太郎・メキシコへのまなざし/仲野泰生(川崎市岡本太郎美術館・学芸員)
岡本太郎「明日の神話」特別サイト（いままでのニュース第1〜6回）
*外務省ホームページによると日系人の数は17,753名（2008年10月現在）とされている。
]]></description>
		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4327/</link>
			</item>
	<item>
		<title>放課後アートリサーチ 05: 劇作家 岸井大輔《こどもkichi》その1</title>
		

		<description><![CDATA[こんにちは、臼井です。ブログの更新も7回目。もう残すところあと一ヶ月を切りました。ペースはスローですが、取材をして記事を書いてと楽しくやらせていただいています。さて、今回は劇作家岸井大輔さんが東京都江戸川区で実施していたプロジェクト
《東京の条件2011：準備室》の一環である《こどもkichi》について。
「ごっこ遊び」から実践へ
 
《こどもkichi》は、路上や民家など都市のあらゆる場所で演劇作品をつくりだす劇作家岸井大輔さんが、江戸川橋の地蔵通り商店街の一角にある古い家屋を使って2011年10月~2012年1月まで展開していたプロジェクトです。「子どものたまり場をつくる」という主題のもとに動き出した《東京の条件2011：準備室》という枠組みの中で、参加者と共に実験的に行った企画でした。
ぼくが《こどもkichi》を訪れたのはその取り壊しが始まる前日、最後の日でした。商店街の角にある古い家屋の軒先にはカラフルな画用紙に描かれた自己紹介ポスターが並んでいて、中に入ってみると風船やフェルトのフラッグ、ペンキで塗られた壁に写真が並び、奥には子どもたちが作ったのであろう「駄菓子屋」があります。2階に上がると、奥の部屋で子どもたちが駄菓子のカップ麺にお湯を注いぎはじめました。最後の日の「打ち上げ」なのだとか。

※子どもkichiのレギュラーのわたさんと話す筆者も映っています。
空色に塗られた部屋では一人の子が「かみどめ屋」をやっていたり、薄暗い部屋では「この家で起きた殺人事件」についてのお話をしてくれる女子がいたり、10数人の子どもたちがこの場所を遊び場にしています。とはいえ、フェルトのフラッグや壁の絵などは不思議なほどクオリティが高い。本当に子どもが始めたのか？というと必ずしもそういう訳ではなく、この場所をつくり出した岸井大輔さんらのチームがアーティストに声をかけ、子どもたちの遊びを「演出」している部分もあります。しかし、駄菓子は実際に売られているし、「かみどめ」や「殺人事件の話」も10~20円払う仕組みになっている。これらは子どもたちの提案を受けて岸井さんが「うん、やりたいならやれば？」と了承したことではじまった企画だそうです。この場所でアーティストが何かをしていると子どもたちがその周りで別のことが動き出していきます。
「劇作家」という肩書きでこのプロジェクトを展開する岸井さん。「ここで行われていることはフィクションです」という言い逃れもできそうな肩書きですが、ここで子どもたちがやっていることは「商い」であり、小さくても経済活動であると言えるでしょう。演劇も他者に価値や機会を与えその対価を受け取る経済活動。子どもたちが「ごっこ遊び」を存分にできる場所を与えているように見えて、「遊び」の境界をあやふやにし、経済活動と接続する試みでもあると感じました。
純粋な消費であるはずの「遊び」が開かれ、「実践」へと変わっていく過程。こうして見ていると、これまでとは違う「公共事業」の形が浮かび上がってきます。
つづく。
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4349/</link>
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		<title>プノンペンの今</title>
		

		<description><![CDATA[秘密基地も一段落付いたということで、全く話は変わるのですが先日カンボジア・プノンペンに行ってきました。
プノンペンに、クリエイティブスタジオを作ろうという話があっての下見です。
実は学生時代に一度この国に訪れたことがあり、その際から興味を持ち続けていました。

空港をおりて、ホテルへ移動中。リバーサイドはとても奇麗に整備され、色々と開発段階。15年ほど前に行った、発展前の上海を思い出した。
夜にはオシャレなバーもいくつかあり、とても驚かされた。

街の中心にあるセントラルマーケット。建物自体は昔からあるものに色を塗り直したものらしい。かなり現代的なイメージの建物に見える。
中はアジアによくあるごった返した活気あるマーケット。すぐその横にはかなり現代的なデパートも立っている。

そのデパートの屋上からの景色。一見、アジアの貧困国には見えない。
私はいつも海外で旅行する際に、各国のなるべく大きなデパートを回る。今回もこの建物のおもちゃ屋さんを見て回ったところ、iPhoneアプリで大人気のキャラクター「AngryBird」のグッズでいっぱいだった。10年前は日本のキャラクターグッズばかりッだったのにだ。CDやDVDコーナーに行っても、日本のコンテンツよりも韓国のコンテンツばかり。色々、日本人の展開の仕方としては考えさせられるものがある。
１０年前、まだ学生のバックパッカーだった私はまだ夜になると真っ暗なプノンペンの屋台に入った。
当然、クメール語が話せない私に、屋台のおばちゃんが
「What`s  your name? 」
と聞いてきた。
自分の名前を答えて、同じように聞き返すと
「Misae, Misae」
と答える。よく意味が分からなかった私の顔を見ながら、おばちゃんは足下で走り回る自分の子どもを指して
「Shin-Cyan! Shin-Cyan!」
と続けたのだ。
日本のアニメ「クレヨンしんちゃん」を知っていたのだ。つまり彼女の息子は「しんちゃん」のようにいたずらっこで、「みさえ」のようにいつもガミガミ怒っている、と言いたかったのだ。
クメール語どころか英語もろくに話せなかった自分にとって、このようなコミニケーションが取れたことが衝撃的だったし、日本のコンテンツの可能性を痛感した思いがある。

ネットインフラは全く問題ない上、中国などと違ってインターネット規制もない。
この国の若い人間のプログラムに対してのリテラシーの高さは色々な可能性を感じた。
とはいえ、今回のカンボジア訪問で最も価値があったことはやはり人との出会いだった。
今回パートナーになる可能性のあるJCITプログラマーたちが目指すのはカンボジア版のぐるなびやe-bay。まだ荒削り開発途中でながらその野心は興味深かった。
私が長年興味がある、iTサービスとキャラクターコンテンツの融合も何か一緒に出来るかもしれない。

上記のリバーサイドを掃除する、お揃いのカッコいいTシャツを着た若い学生さんたち。やはりそのメンタリティにこの国の未来を感じる。
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4306/</link>
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		<title>ドキュメンタリー映像とCCライセンスについて。</title>
		

		<description><![CDATA[「村上祐資ドキュメンタリー #01──南極と夢の話」
「村上祐資ドキュメンタリー #02──秘密基地ヲ作ロウ。 総集編」
の日本のドキュメンタリーをアップさしました。私の後輩の映像作家・梅津康宏が撮影・編集・ナレーションをしました。
彼はまだ23歳。映像だけでなく、私と同じようにiPhone/iPadのUIデザインや音楽制作なども手がけるマルチな才能を持つクリエーターです。
今回のワークショップは映像の中にあるように、村上祐資さんが巣鴨小学校の道徳の時間に「南極」について話した後に、放課後子どもプランという教育委員会による枠の中でワークショップをやらせていただきました。(横の臼井さんの記事の方に詳しくあります。感謝w)したがって、我々「秘密基地ヲ作ロウ。」のスタッフだけではなく、何人かの地域の方々や親御さんのボランティアにもお手伝い頂きました。個人的には、今回のワークショップは子どもたちはもちろん、ボランティアの大人たちにも楽しんでもらえたのではないかな、と思っています。
それはもしかしたらこのような対子どもボランティアにとってそれはとても重要なポイントな気がしています。
というのも将来的には村上祐資のいない形でも、大人たちと子どもたちが共に「秘密基地」を作ることで楽しみながら学んでいってもらえるワークショップカリキュラムとしてこの「秘密基地ヲ作ロウ。」が各地に広がっていくことを目指しています。それは子どもだけではなく、より多くの大人が楽しまなければ広がってらないでしょう。
そして、それを普及させる手段のひとつとして、ワークショップ自体にクリエイティブコモンズライセンスを使用することを考えています。そのライセンスを付けることにより、誰もが使用できるカリキュラムにしいくということも今回のプロジェクトの趣旨のひとつです。
基本的に、クリエイティブコモンズは、音楽やアート作品、キャラクターなどにつけるもので、デジタル時代の著作物にたいしてクリエイティブコモンズライセンスをつけることにより、法的手段を利用して出版物の創造、流通、検索の便宜をはかるものです。
今回はそのライセンスをワークショップ全体に付けてみようという試みです。
そういう意味では、この記録映像や瓦版のアーカイブは大切なモノになってくると思います。とはいえ、まだかなり手探りなところが多いのも正直なところ。今後の課題として、今みんなで練っている最中です。
とりあえず、今回参加してくれた子どもたち、大人たちにこの映像のDVDと瓦版の最終号を送りたいと思っています。
何よりも喜んでもらえたら嬉しいですね、それが普及のもうひとつの手段でもあると思うので。


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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4288/</link>
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		<title>「村上祐資ドキュメンタリー #02──秘密基地ヲ作ロウ。 総集編」</title>
		

		<description><![CDATA[
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4282/</link>
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	<item>
		<title>「村上祐資ドキュメンタリー #01──南極と夢の話」</title>
		

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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4271/</link>
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		<title>秘密基地ヲ作ロウ。瓦版について</title>
		

		<description><![CDATA[『秘密基地ヲ作ロウ。瓦版』を４号分を昨日までにアップしました。これらは今回のワークショップに参加した子どもたちに配ったものです。
編集長はワークショップメンバーの明貫紘子さん。彼女はメディアアートのキュレーションや研究をしている方です。そして記事は村上祐資さんが書き、私は基本テンプレートのデザインと４コマ漫画の方を担当させてもらいました。
４コマ漫画のネタが全く思いつかなくてめちゃくちゃ苦しみました。デザインの仕事はさせてもらっているとはいえ、４コマ漫画を書いたことがなかったので良い経験でした。
実は、私は個人的に最初この瓦版を作ることに乗り気になれませんでした。このモノや情報が溢れる時代にチラシやプリントとというモノに対する価値観にピンとこなかったのです。
家のポストに入っているピザのチラシや、街で手渡されるチラシ・・・。個人的にうっとおしいと感じてすぐにゴミ箱行きさせてしまいます。(ピザのチラシだって、同業種のプロのデザイナーさんが命欠けてデザインしているのは分かるのですが・・・。)この出版不況といわれたり、新聞を読まなくなったこの時代に「新聞」形式のものが、昨今のデジタルネイティブな子どもたちにちゃんと届くのな、と不安だったのです。
実際、目の前で配ったところ、子どもたちは誰も忘れずにランドセルに入れて帰ってくれました。(デザイナーにとって、やはり目の前で放置されていたりすると結構ショックだったりするものですw)
だから本当に嬉しかったですね。
そして思い出しました。小学校の時に貰っていたプリントや連絡帳のことを・・・。先生に口うるさく親に必ず渡すようにと言われたプリントの数々を。そして連絡帳の先生の書いてくれた一言を・・・。親と先生は子どもを伝書鳩にコミニケーションとっていたんですね。それは今も巣鴨小学校では続いていそうです。
しかし風の噂によると最近の中学生などは、家に帰るとSkypeで友だち同士会話したり、宿題をDropboxで共有している子たちもいるようです。これからのデジタルリソースはどんどんと小学生や幼稚園児でも扱えるUIデザインになってきているのは確かだと思います。
それが良いことなのか悪いことなのかわかりません。
仕事柄、iPhone、iPadやソーシャルにおいてのデザインをやっている身としては、それが最終的には良いことだと言ってもらえる一端になれるよう努力したいですね。コミュニケーションの伝達手段の変化。巣鴨小学校では問題なく機能していたと思いますが、もしかしたら昨今の学校問題の一部に上げられている原因のひとつかもしれない、と思ったりもしました。
何故なら、自分の昔のことを考えると、この瓦版も誰かのランドセルのそこでぐちゃぐちゃになっているんかもしれないからです(笑)
とはいえ、最終５号も子どもたちに届ける予定で製作中です！ぐちゃぐちゃポイっとされないように頑張ります！
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4266/</link>
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		<title>秘密基地ヲ作ロウ。瓦版 No.04</title>
		

		<description><![CDATA[
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		<link>http://www.artscape.ne.jp/artscape/blogs/blog3/4263/</link>
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